dmiyakoのブログ

人間ドックでもやもや病が発覚した30代女です。左側のバイパス手術を行いました。備忘録を兼ねたブログです。

手術2日目

手術2日目 2月1日

朝方に値が93前後になって、台風のような風が少しずつ弱くなっていった。
Y先生から血圧の監視範囲が少しだけ緩くなった。そのため、点滴もガチガチではなくなり、肺呼吸も楽に。より酸素が取り込めるようになった。
母が来てくれた13時頃には、94か95を安定的に出せるようになった。やっと、長いトンネルを抜けた気がして、心身ともに疲れきっていた。かすれ声で夜中の出来事を話していると、アポなしのお見舞いが。

もう山を超えて大丈夫と勘違いした母がOKを出して部屋に通した。(;▽;)
あのね全然OKじゃないよ。
安定したばかりの状態に刺激しないで。
先に言っておくべきだった。
てか、私から連絡すると言っていたから誰か来るとは思ってなかった。まじでご配慮ください。

闘い終えたばかりの酷い姿を家族以外に見られる辛さ。
つい先程安定した血圧が上がってまた崩れるかもしれない不安。
声がかすれちゃんと対応できない自分への悔しさ。
色々と悲しくなって泣きそうになった。
ダメだ。泣いたら血圧が上がる。
もうありのままをお見せして、あまり話せなかった。
来てくださった方に悪気がないのはわかっているけど、自分のことで精一杯。余裕も何もなかった。

案の定、その後は血圧が上がって点滴も強くなった。

その日も朝、昼、夜と食欲がなくヴィダーインゼリーを手元に置いて、お腹が空いたら飲む。なくなったら看護師さんに冷蔵庫から取ってもらうの繰り返し。

夜遅くには値が95から96をうろつくようになった。

開頭した傷口は医療用ステープラーで何箇所も留めてあって、ガーゼと包帯でギチギチに巻かれている。アイス枕を敷いて、途切れることなくカロナールで痛みを抑えているから、傷口の痛みはさほど気にならなかった。

カロナールが効かない!痛いわよ!と怒っている女性を見たことがあるから、私は効いて良かったんだと思う。

身体の装備は、
アイス枕
頭包帯ぐるぐる巻き
酸素チューブ
腕に自動血圧計
カテーテル 点滴はいくつもついてた
血圧下げるシート胸貼り
心電図用のペタペタ貼るやつ
酸素図るやつ指先に
尿カテ
足の血行良くする靴下
手元にヴィダーインゼリーとストローのついた水

今思うとこれで30度から45度のベッドで、
よく眠れたなーと思います。
当時はそうでなければ、吐き気やヘルニア腰の痛みでやってられなかったね…

なによりヴィダーインゼリーには助けられました。



お見舞いの羊ちゃん
毛並みが良いと看護師さん達に褒められる


酸素不足

首にカテーテルを刺して
点滴も一緒に2人部屋へ。

重症患者とされたのか、ナースステーションの前の部屋へ誘導されたけど、声量が大きな方がいてそれはどうしようもないみたいだから、お断りした。

移った2人部屋はナースステーションの斜め前だからたいして変わらないし、私も安心できる部屋だった。小さなモニターをベッド横に設置。

両親が4人部屋から荷物を移動してくれていた。

あの後、何があったか、この首の経緯をまたベラベラと話した。喉に1日管を入れていたせいか、声が小さくてかすれてうまく話せない。

全身麻酔の副作用なのか、夜中の管のせいかわからないけど、とにかく気持ち悪い状態が続いている。ベッドは斜め30度くらいでないと吐いてしまいそうで、水平に眠ることは考えられなかった。
さらに右首にカテーテルが入っているため、思い切り右側を向けない。何より測られた距離がズレたらまた局所麻酔で入れ直しになるのでは、と恐れて、この日からほとんど右を向いてない。

斜めの体勢でもそれ以上1人で起き上がることができないので両親にお水を口元まで運んでもらう。
あれだけ飲みたかった水を何度も飲む。
夕食は気持ち悪くて食べられず、ヴィダーインゼリーが精一杯だった。

夜は点滴の数だけ看護師さんが替えに来てくれるし、斜め30度だけど部屋で寝れることが嬉しかった。

数時間後の夜中、看護師さん3人に囲まれて目が覚めた。
鼻に酸素チューブ?みたいのを付けられる。

「酸素増やしますね」

私はきちんと鼻で息をしていた。
だけど、酸素の値は減っていた。
過灌流で血圧を下げているために、尿が出ずらくなり肺にお水が溜まって酸素を取り込みづらくなっている。モニターで、ここが93以上ほしい。と説明があった。
私は89とか90をうろついている。

もうちょっと酸素増やしますね、とか、何度か来てくれたけど、全然値が増えず…

ICUの時から、全力で走ったあとのように胸がずっとバクバクしていて、一時的な不整脈と言われていたため、大きく深呼吸をするように気をつけていた。かなり頑張った。
それでも値が上がらない。

酸素マスクを付ける話になって、試しにつけてみたら小さいマスクで、これはマズイと返した。何がマズイって、こんなバクバクした呼吸でこれを付けたら過呼吸になると瞬時に察した。
過呼吸の経験があるからわかるんだと思う。

それでも看護師さん達は付けようとする。
ひとりの看護師さんに、お鼻で頑張るからマスクはやめてください。絶対過呼吸になります。わたしダイビングも出来ないし、こういう狭い範囲の呼吸はできないんです。と半泣きで訴えた。
過呼吸になったら合併症になるかもしれない不安も大きかった。
それが伝わり、看護師さん達も驚く酸素レベル8の鼻チューブで頑張ることにした。
(通常は3とか4らしい)

「鼻血でちゃうかもしれないよ?(^O^;)」
何度も確認された。
「大丈夫。頑張ります」

看護師さん達はザワついていたと思う。

でもこれしかなかったからあとで笑い話にしようと思った。

逃がした酸素もまた吸い込めるように大きめのチューブ?を付けてくれて、
ゴーゴーと音がする台風のような風を鼻でうけながらwそれも意外と平気で。笑
モニターを凝視して夜中が過ぎていった。

幸いにも鼻血は出ず、
朝方には値が93や94にいくようになった。

2日連続、全然眠れない夜だった。
我ながらよく頑張った。

1月31日 手術翌日②

H先生が立ち去ってから、
看護師さんとY先生が来た。

「首から点滴をするから、カテーテルを入れるねー」と端的な説明でカチャカチャ準備を始める。

嫌な予感がして「局所麻酔しますか?」と聞くと「うんするよ」と。
「首のほうにね。ちょっとだけだよ」と。

……首?
首に局所麻酔?
どういう流れでそうなった?
もっと詳しく説明してよ~!
(;´༎ຶ۝༎ຶ`)

突然のことに心の準備ができないまま、
ブルーシートを被せられ、右側の首のところだけ丸く?開いてる。
突然の恐ろしさに涙がツーとでてくる。

いっぱい消毒されて、ズキューンと局所麻酔。
すごく痛かった。突然の恐怖に私は固まってて息してなかったかも。

その後、首にカテーテルを入れられてるのがわかる。しばらくして首の奥がヂクヂクする。
私「痛いです(;▽;)」
Y「あ、また麻酔してるよ。言うの忘れてた、ゴメンね」


(°д°)


私「…まだ麻酔しますか?」

Y「もうないよー」

カテーテルを入れられて、何センチとかよくわからないけど測られ、ビタビタとテープを貼られて終了。

後から知ったけど、この時私は過灌流になっていたらしく、合併症を防ぐための対応として首からカテーテルを入れて血圧を下げる点滴をすることになったんだそうです。さらに胸あたりにも血圧を下げるテープを貼っていました。

スペクトといい、首の局所麻酔といい、
次から次に起こる予想外の注射。
もう、精神的に疲れた。

看護師さん「今日は夕食を食べられたらクリアですねー♪」


…そんな食欲はありませんわ


ICUを出て、4人部屋から2人部屋にお引越ししました。両手の甲の点滴は外れました。

1月31日 手術翌日①

朝方になると、水が欲しくてうがいの頻度が増していく。

そしてやっと朝

もともと喉の管は検査が終わった後に外すと言われていたけど、「絶対気持ち悪くて吐くから、検査前に外してください。外さないと検査いかない」とワガママを言った。

管があるだけで勝手に襲ってくる吐き気。
頭をじっとさせるなんて無理だったし、そもそも検査にならないと思う。

あの男性看護師は、
Y先生が来ても管を取る許可を聞いてくれず、
別の看護師さんに管を取りたいと言った。

Y先生がすぐに「とっていいよ!とってとって!
水も飲んでいいよ!」と言ってくれた。

OKがでてるのに、男性看護師は何やら女性看護師と話し込んでる

「あの、管とっていいと言われたんです」
近くの看護師さんに言うと、男性看護師をみて
「あっ…。も、申し送りのあとにとってくれますよ」と、気まづそうに言われた。

私より引き継ぎか…!

お前の名前は忘れない。


その後、管を抜かれて、

薬とともに少しだけお水を飲んだ。

感動の瞬間に浸る間もなく

すぐにストレッチャーで検査へ。

多少の動きでも気持ち悪くて吐きそうだった。

MRIを30分ほど頑張ってひとつめ終了!

てっきり次はCTだと思ってた。

そういうブログが多かったから私もそうなんだろうと。

でも人それぞれなんですね。

なんと次は、スペクト検査。

最悪だ、最悪だ…

どうせまた一回目は失敗するんでしょうよ

でもやるしかないんでしょうーー( T_T)(投げやり)

そして案の定、動脈は失敗して左手が強く痺れた。

吐き気と痛みと精神的疲労が限界にきてて、

無言でストレッチャーに揺さぶられながら部屋に戻る。

この後は自室でゆっくりできると思っていたけど

ICUに戻ってきた。そして両親がいた。

なぜICUに戻るのかわからなかった。

「無事に終わったみたいだよ、頑張ったね」

どっと疲れが出て、

私は辛かった愚痴をベラベラ喋りだした。

そして、四人部屋から二人部屋に変えて欲しいとお願いした。

この体調、精神状態で、大きな声を出す女子がいる部屋には居たくなかった。

そしてH先生もきた。

無事に終わったよーと先生の笑顔に安心したけど

まだ油断はできないからね、と慎重だった。


1月30日 手術当日②

1月30日

17時半頃。

「無事に終わりましたよ」の声で

目が覚めたのはICUだった。

14時頃には手術が終わり予定通りだったそう。

そこから眠っていたんだな。

頭は包帯でぐるぐる巻き

鼻に酸素チューブ

喉には何やら管が入っている

心電図のペタっとするやつが胸あたりに

両手の甲に刺さった点滴

両足にエアマッサージャー

尿カテまで、全身に色々ついてる。

ここからはじまる、私にとって地獄の2日間。

イケメンの男性看護師が私を担当してくれた。

頭が痛いから痛み止めをギリギリまで

追加してもらったあと

ヘルニアも出てきて、「眠りたいです」と

眠剤で楽になりたい要望を伝えたら

寝ちゃいけないらしい。

寝たら起こしにくるとのこと。

湿布を貼ってクッションを置いて、

何度も体制を変えてもらいながら朝を待つことになった。

そしてICUがとても乾燥していて喉が渇く。唇も喉もカラカラでつらい。

「お水飲みたいです」

「お水は飲めないんです。明日検査があるので」

えええーそんな…(;▽;)

明日の検査終わりまでひとくちも飲めないの?

どなたかブログで見たけど内緒で

お水だか氷だかすこーしもらった人がいたような…

もちろん私にはそんな展開はなくて。

点滴してるから身体への水分は摂ってるんだけど、カラカラの喉にあたる管がすごく気持ち悪くて、喉に水分を感じたい。

水は飲めないけどうがいなら良いよと、
うがい対応をされ、その瞬間に水を飲みやしないか監視されて、厳しいな( ・ᴗ・̥̥̥ )

でもイケメンは色んな話をして時間を忘れさせてくれて、ありがたかったです。

0時近くに交代になって、次の男性看護師は、

入力ばかりしていて呼んでもすぐにきてくれず、

というかまず近くにいない。

喉の管が気持ち悪くなって、

途中で嘔吐を繰り返し、ナースコール鳴らしても

その男性看護師はこない。

別の看護師さんが

「なんであいついないわけ!?」と

怒りながら優しく背中をさすってくれた。

男性看護師は来ても遅いし、

カップを置いて見てるだけ。

そんなんならもうこなくて良いよ、

カップくらい自分で置いてるよ!

カムバックイケメン(´•ω•̥`)

自分で体制も変えるようになった。

喉の渇きと、管による吐き気で苦しかったから

どうにか喉の管を外せないか聞いたら

酸素を送ってるとかで外せないと言われた。

その男性看護師から

「朝、先生が来たら外して良いかすぐに聞くから」

となだめられ、
吐き気と戦いながら少し寝たと思ったら起こされて、
もう朝だろうと期待するたびに30分しか進んでない、ゴールの見えないマラソン…。
さらに3時頃に不整脈になり胸がバクバクしだして、一時的なものだと特に対応されず苦しさは増す一方で、朝までのカウントダウンは気が遠くなるほど長かった。


1月30日 手術当日①

残っていたお水?を

寝起き6時くらいに一気飲みした。

友人から「頑張って」というLINEがくる。

8時前に手術着に着替える

すぐにY先生が頭のマーキングをする。

ああ、ここの髪が剃られるのね(><)

いっきに手術への緊張が増していく。

手術室まで母と看護師さんと徒歩で向かう。

他にも手術する方が何人かいて、

順番に入っていく。

付き添いの母が「頑張ってね、待ってるよ」と

言ってくれる。

私の生年月日、氏名を確認され、私も中へ。

男性「1番奥なので少し歩きますね」

あ、昨日の麻酔科の先生だ。

私「すごい、すごく緊張してるんです、

大丈夫かなわたし」

テレビで見るような手術台。

また名前を確認される。

手術台に横になる。

何人も人がいる。

私「だめ、緊張しすぎてます」涙目

女性「そうだよねー、大丈夫だよ。力抜いてね」

マスクとか色々装着されていったと思うけど、

緊張しすぎて記憶がない。

ひと通り準備が揃ったらしいとろこで、

H先生がきた。

私の肩をポンポンと叩いて

あの優しい熊さんスマイル。

先生がやってくれるから大丈夫だと

気持ちが切り替わった。

あとは麻酔だけだ。

目覚めたら終わってるんだから。

次第に酔っ払った感じになっていく。

みんな私を覗き込んでいる。

ん~長いな。麻酔効くのかな、

普段からお酒いっぱい飲んでる人は

効くまで時間がかかるとかなんとか…

目を閉じた瞬間におちた。

1月29日 手術前日

午前中に病院へ到着。

前回と同じ四人部屋の窓側を希望したものの、

同じ四人部屋の通路側。

空いたら窓側に移りたいと希望を出した。

この四人部屋は女性だけの部屋だから安心。

ナースステーションから1番遠くて

夜中のトイレが怖いけど、

4人もいるから何となく安心。
ちょっとうるさい女子がいたけど
この部屋は好きだった。

この日は担当医のY先生、麻酔科の先生、

明日の手術で関わる方が

どんどん部屋にやってきては説明、

書類に記載などして、

あっという間に夜になった。

私と母は主治医のH先生の元へいき、

先生は明日の手術の説明を

1時間ほどかけて丁寧に行ってくれた。

まずは、先日わたしの具合が悪くて見れなかった

アンギオ結果の画像で説明。

先生の言う通り、

左側の方が暗い部分が多かった。

つまり血液が足りてない。

「この間言ったとおり、

明日は左側のバイパス手術を行うね」とのこと。

じゃあどういう手術かというと…

紙に絵を書いて丁寧に説明してくれた。

要するに、頭の皮膚のしっかりした血管を、

脳血管とつなぐよ。そこに筋肉もおいて、

周辺の脳血流も良くしていくよ。という、

直接バイパスと間接の2つをやる、

複合バイパス手術というものらしい。

それによる合併症の話しも詳しくされた。

起こりやすいのは過灌流(かかんりゅう)

血液の流れが良くなりすぎることがある。

これによって麻痺や痙攣や言語障害

なってしまうケースがある。

これらは一時的なことがほとんどだけど、

びっくりして涙を流す人もいるから、

悲観的にならないで起こりうると思って、

そんなに絶望的にならないでほしい。

我々が対応すると言われた。

その他のリスクも色々説明を受けた。

もうここまできたら、先生を信じるのみ。
何事も100%はないし、仮に合併症になったとしても生きてさえいればそれで良い。

翌日は8時半から手術。

私は「なんだか、すごく緊張してます…

明日はよろしくお願いします」とお辞儀をした。

扉を閉める先生に向かって、またお辞儀をした。

先生もにっこりとお辞儀をしてくれた。

その時、先生の頭に扉がガツン!!と当たって、

H先生「あっ、あはは~」

私「あはは。先生大丈夫ですか?笑」

その時の笑顔がほんわかしてて、一瞬手術のことを忘れた。

お茶目な先生だな。

夜は食事もとれたけど、21時以降は

ペットボトル1本のお水?を渡され、

それしか飲んではいけない。

6時までに飲んでくださいとのこと。

もし過灌流になったら、連絡が必要な人や親しい人達にすぐに連絡できないから、その場合はこちらから連絡する旨伝えた。

またそれによって嵐のツアー申込に間に合わなかったらいけないなと思い、友人と日程調整をして申込完了した。

緊張してるのにテキパキしてたなーw
現実逃避って感じかな(°▽°)